東急SレイエスFC

R-epresent History

~レイエスの過去、現在、未来を~

【VOL.7】武田 幸生

 

 武田 幸生

(Yukio Takeda)

 

1970年11月27日生

 

◆アスルクラロスルガ株式会社

アスルクラロ沼津トップチームG Kコーチ

 

【サッカー歴】

浦和スポーツクラブ

九曜FC

 

【指導歴】

FCロスレイエス

東急SレイエスFC

東京国際大学

東京農業大学

神奈川大学

ブラインドサッカー日本代表

Y.S.C.C.(J3)

アスルクラロ沼津(J3)

 

 1999年、FCロスレイエス創設時にGKコーチとして東急スポーツシステム株式会社での指導をスタート。


 2005年シーズンより名称が変更になり、新たに東急SレイエスFC(U12/U15)GKコーチとして活動。クラブユース選手権関東大会初出場に貢献。


 2006年には小学生を対象としたイベント形式のラジオキーパーや、常設のゴールキーパースクール(ヨコハマゴールキーパースクール:YGKS)を立ち上げ、GKを専門的に育成するクラスでの指導を嶮山でスタート。

後に横浜金沢やその他の施設に増設して裾野を広げ、中学生や高校生へと対象も拡大し育成に尽力。YGKS代表として指導者(GKコーチ)育成にも貢献した。

 

 その後活動のカテゴリーを広げ、東京国際大学、東京農業大学、神奈川大学など、大学サッカー部の選手たちを指導。

 

 2015年にはブラインドサッカー日本代表GKコーチを就任し国際舞台も経験。

 

 2019年にはJ3に参戦しているY.S.C.C.のGKコーチとして活躍の舞台をJリーグへと移し、現在はJ3のアスルクラロ沼津GKコーチとして活躍中。

 

【1】TSS在籍時のレイエスについて

TSS(東急スポーツシステム株式会社)で勤務されていた時のクラブの見え方や感じていたこと、印象的な出来事などがありましたら教えていただけますか?

 

 私がレイエスに関わったのはチーム創設前年度の1999年から2009年までの10年。

 FCロスレイエスから東急SレイエスFCに変わる普及から強化に。神奈川県内上位進出から神奈川県優勝での関東大会出場へと飛躍した、黎明期から過渡期と移りゆく時期をGKコーチとして携わっていました。現在のレイエスがこんなに素晴らしいチームに成長して、私のゴールキーパー指導のスタートがこのチームで本当に良かったです。

 

 FCロスレイエス立ち上げ時には最年少、立ち上げ時から東急Sレイエスに変わる時には最年長(笑)。10歳以上も離れたコーチングスタッフにいつも刺激をもらいながらGK指導をしていました。私はチームと正社員契約ではなく業務委託契約でしたので、当時は会社員をしながら後にフリーランスをしてチームに関わるようになりました。

 

 ロスレイエス時代は土本さん(当時U-15コーチ)とボロボロの社用車でなかなか勝てないチームをどうしたら勝てるようになるのかを語り合ったり、東急SレイエスFC立ち上げ時代では、八重樫さんにサッカーと勝負事の楽しさと厳しさを、阪本さんとはサッカーで感情を揺さぶられ泣いたり笑ったりできる幸せを教えてもらいました。

 

 印象的な出来事はいろいろありましたが、今の自分の源になった出来事を一つ。ロスレイエスから東急SレイエスFCに名称も体制も変わった時には、現場にも八重樫さん、遠藤さん、阪本さんなど熱意ある指導者が集まり、私たち指導者も大きな野望を持って取り組んでいました。あるミーティングでサッカー指導の「こだわり」についてディスカションすることがあり、そのことについて問われた時に「こだわりはない」と言った時の、「こいつ、何言ってんの・・・。」とみんなの冷ややかな空気は未だに忘れていません(笑)。決してやる気が無かった訳では無く、こだわりを持たないこだわりがスタイルであった訳で。しかし、そのおかげで50歳になってもGKコーチとしてピッチに立てています。

 

初の関東大会進出決定

【2】客観的にみたレイエス

TSS(東急スポーツシステム株式会社)を離れてみてクラブや会社の見方が変わった部分や、魅力的に感じた部分があれば教えていただけますか?

 

 自分がレイエスを離れて12年、ゴールキーパースクールなどTSSの業務委託から離れて2年が経過しましたが、TSSがフットサル施設運営、スクールやチーム活動をJリーグクラブ以外でここまで成長させた企業はないのでは無いかと思うぐらい発展してると思います。私もこちらでサッカー指導をスタートし、当時は関東でも数少ないGKスクールを運営させていただいたり、当時の施設担当者、マネージャーさんにご無理言って「遠藤さんの早朝サッカー教室「ラジオサッカー」と一緒に「ラジオキーパー」を開講させていただいたりと、自分がGK指導で行なっているすべてを与えてもらいました。

 

 この組織には20年経った今もたゆまなく素晴らしい経営者と情熱を持ったサッカー指導者が集まっていると感じています。自分が在籍したレイエスが誕生し新しい変化を繰り返した最初の10年と、そこから発展し大きく成長した近年の10年。そしてさらに大きく成熟するであろう次の10年、今は横浜北部地域の象徴的クラブが、横浜、神奈川の代表となるクラブになることを期待しています。

 


ラジオキーパー

【3】今後のレイエスへ

今後、レイエスに期待することや、こういうところに力を入れたら良いのではないかという部分はございますか?

 

 トップチームができた以上は、神奈川で七番目のJクラブを目指して欲しいです。私が今在籍をしているアスルクラロ沼津も街クラブから誕生したJクラブになります。もし自分が生きているうちにレイエスがJリーグに加盟した際には、清掃員、駐車場管理など何でもしますのでもう一度、王様たちのエンブレムを身につけてレイエスの一員としてクラブに携わっていきたいと思っています。

 

 いつ呼ばれてもいいように、もう少し頑張っていろいろな場所でゴールキーパー指導を続けていきます!

 

 バモレイエス!!!

 

YGKS

 ~編集後記~

スタッフのひとりごと

 
 初期レイエスを知るレジェンドでありながらとても温厚で誰とでも気さくに接する姿が魅力的。

 タイトル「じゃーげじょうじ」など、噂ではおもしろエピソードも数々残るとか。笑

 

 「ラジオキーパー」や「YGKS」など、日本のGKスクールの先駆けとなり新たな道を切り開いていく姿が印象的で、その先にブラサカ日本代表やJリーグ挑戦が続いていて素晴らしい躍進に刺激を受けています。今後のご活躍も追いかけさせていただきます!

 

 武田さん、今回は誠にありがとうございました!

 

 武田さんがGKコーチとして携わるアスルクラロ沼津の情報はこちらから